ビンラディンの息子Hazma30歳を警戒

2011年5月のビンラディン殺害後、満を持して登場か
懸賞金1億円、国際刑事警察機構も国際手配
「父の後をたどることを運命づけられた・・・」
Hamza.jpg18日付Military.comが、30歳になると言われているオサマ・ビン・ラディンの息子Hamza bin Ladenの動静注目する記事を掲載しました
最近数週間で、突然懸賞金が1億円かけられたり、国連安保理が制裁対象に指定したり、国際刑事警察機構が要注意人物として世界手配したり、サウジアラビアがHamzaの市民権をはく奪したり、との動きが連続して明らかになっており、世界の対テロ関係者を恐れさせる動きがあるようです
一連の国際的な動きの背景は明らかになっていませんが、Hamzaはアルカイダのリーダーになってはいないものの、彼を主要な脅威として認識しなければならないような何かが起こっている模様です
ISISの動向に最近は注目が集まっていますが、ライバルであるアルカイダが復活を期して何か企んでいる可能性もありますので、とりあえず報道から、謎の多いHamzaのこれまでについてご紹介しておきます
18日付Military.com記事によれば
Hamza2.jpg●1989年誕生か?父ビンラディンが、ソ連と戦うアフガンのムジャヒディン支援で注目を集めた1980年代に、児童心理学者だった母とビンラディンの間に生まれる
●アフガン支援後、「基地」意味する「al-Qaida」を父が創設し、世界のジハード論者や組織を結ぶネットワークとして活動を活発化する中で育つ
1998年にケニアとタンザニアの米国大使館を爆破して224名を殺害した時にHamzaは8歳、911同時多発テロの際は12歳と推定される
911同時多発テロ後、追われる身となった父はパキスタンに逃れ、Hamzaや家族とは離れ離れになり、最後まで再会することはなかったとされる。別れの際に父はHazmaに「祈りのための数珠(じゅず)」を贈ったと言われている
Hamza5.jpg●父と別れたHamzaと母は、他のアルカイダメンバーとパキスタン経由でイランに移動した。
●米海兵隊が父ビンラディンを殺害した家から押収した資料によれば、イラン内でHamzaはアルカイダが用意した数か所の隠れ家で過ごした後、イランがHamzaらをイラン軍基地内や隠れ家に収監したと言われている
ブッシュとオバマ政権下でアルカイダ掃討が中東全域で進む中、母違いの兄弟はイラン脱出してパキスタンに移動したが、2009年に米軍の空爆で死亡している
2010年3月にHazmaと母はイランの収監を離れ、パキスタン北西部に移り、そこでHazmaは兵器の取り扱い訓練を受けたとされている。
Hamza4.jpg2011年5月2日に海兵隊SEALSによりビンラディンや腹違いの他の息子が殺害された際、ビンラディンの隠れ家に移動していた母は逮捕された。Hamzaはそのころから所在不明となった
2015年8月、ジハードを訴えるwebサイト「Ayman al-Zawahri」にビデオ映像で登場し、時のアルカイダ指導者から「アルカイダのライオン」と紹介された
その後は10回以上にわたり、様々なメッセージやスピーチを発する様子が紹介され、アルカイダが新たな広告塔としてHamzaを利用し始めたとの見方が広まっている
●しかし2018年3月にサウジ指導者を威嚇するメッセージを発してから姿を見せておらず、アルカイダ内部で何が起こっているのか、Hamzaがどのような状態にあるのかは定かでない
Hamza3.jpgHamzaがアルカイダの指導者になる方向にあるのか? 父の追及したジハードの道を進むのか? アルカイダの中でのHamzaの立場はどうなのか? 誰も知らないこれらの問いへの答えに、世界が注目している
●ちなみに、Hamzaはアルカイダ支援者であるエジプト人の娘と結婚し、既に子供が2人いるそうです
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米国が世界中から引こうとしている中、ISISが集中的にたたかれている中、アルカイダにすれば組織再編・再興のチャンスなのでしょう・・・
Hamza bin Ladenという人生からは、どんな景色が見えるのでしょうか? 中東の砂漠の民が語る「砂漠の清潔さ・高潔さ」を、彼も語るんでしょうか?
2年前のHamzaの記事
「負の連鎖ビンラディンの息子」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2017-01-07

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