注意!! → Holylandを防衛研究所の菊池茂雄氏や高橋杉雄氏と勘違いしている人がいますが、他人です。大変迷惑しています。「はてなアンテナのvon-mansteinさん」には訂正をお願いし、修正していただきましたが・・・。
ベトナム戦争の米側の指導者マクナマラ元国防長官が亡くなりました。その知能指数の高さが有名な反面、負の遺産をしょった晩年を過ごしたこの方の訃報に接し、「なぜ米軍はベトナムでの対ベトコン戦の教訓を、Counterinsurgency(COIN)の教訓を、当初からイラクで生かせなかったのか。なぜベトナムと同じ過ちを繰り返したのか」との疑問を再び持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか?Holylandも本疑問については以前から気になりつつ、「人間誰しも、時がたてば経験など忘れるもの」と自分に言い聞かせていたように思います。
本疑問に対し、防衛省防衛研究所(NIDS)の菊池茂雄氏がなるほどと思わせる解説をされています。詳しくは同HP(http://www.nids.go.jp/)のブリーフィングメモ6月号をどうぞ。その概要は・・・
●ベトナム戦争後、米軍は欧州を主戦場とするソ連との軍事的対決に関心をシフトさせた。そしてその結果は「エアランド・バトル」に結実した。当時のソ連脅威の実態からくるものであるが、同時に深く傷ついた陸軍を立て直すため、新たな目標を持たせる必要があったという軍内の事情もあった。
●しかし、ベトナムの教訓を捨て去った背景には、ベトナム戦争敗戦の理由を、政治指導者と政治指導者への助言が不十分であったとの観点での軍人の不作為に帰結した陸軍戦略大学の研究(陸軍参謀総長の薦めで「On Strategy」との題で1982年に出版)の影響がある。
●具体的には、当時の大統領がベトナム戦に対する国民の支持獲得に失敗したのが悪い。また、軍人が文民指導者におもね、その誤りを正さなかったのが悪い、との主張である。
●同様の主張は、大勝利の湾岸戦争後に出版された「Direction of Duty」でもあり、軍幹部が大統領や国防長官の戦争方針の誤りを正さなかったのが悪い、と主張してベストセラーになっている。
●このようにして、ベトナム戦の失敗は軍ではなく文民指導者にあったとの認識が軍人の間に広がり、現場のベトコン対応の教訓は捨て去られたのである。
軍人の主張をきちんと政治指導者に伝える必要性、軍事的観点から適切な助言を行う必要性だけが生き残り、現場の失敗から学んだ教訓は忘れられる。恐ろしい話ですけど、ものすごくあり得る、説得力ある説明です。
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