日本と核兵器について改めて考える
茂田宏氏の10年前の論考を再掲載
1月22日に核兵器禁止条約が発効したことで、日本のメディアがパブロフの犬のように、広島や長崎市長、ICANやサーロー節子氏や反核団体のコメントを垂れ流しています。
また、同条約の締約国会議に条約に参加していない国もオブザーバーとして参加可能なことから、国連軍縮担当の中満泉事務次長(立派な女性です)の「日本国内からもオブザーバー参加すべきとの意見が出ているが、ぜひそうなればいいと思う。これから条約に関する議論が始まる過程で、機会を逃さずにとらえていくことは、唯一の戦争被爆国の役割かもしれないと思う」との言葉を掲げ、「オブザーバ」参加を訴える報道が流布されています
核兵器保有国が参加していない条約について、このような片手落ちの報道だけに触れ、日本の将来を担う若者や次世代のリーダーが育つことに何ともいたたまれない気持ちになっていた今日この頃、日本と核兵器の問題について、わかりやすく解説されていた10年以上前の論考を思い出しました。
以下にご紹介する「核兵器の問題」との論考は、約10年前に茂田宏氏がご自身のブログ「国際情報センター」(Yahooブログ終了に伴い2019年12月に消滅)に掲載されたものです。
茂田氏は、外交官として国際協定課長、ソ連課長、ソ連・韓国公使、国際情報局長、総理府PKO事務局長、イスラエル大使、対テロ担当大使などを歴任され、現在は岡崎久彦氏が亡くなった後の岡崎研究所の理事長&所長を務める方です
少し長い論考ですが、核兵器禁止条約発効の機会をとらえ、日本人としてぜひ原点に返ってこの問題を考えていただきたいと思い、茂田氏が10年以上前にブログに掲載された論考「核兵器の問題」を再度ご紹介いたします。
核兵器の問題
1、 日本は核兵器の威力を身をもって体験した唯一の核被爆国である。私はこれまで広島、長崎を何度も訪ね、原爆の破壊力、その非人道性を見てきた。広島、長崎への原爆投下は軍事目標ではなく、都市を攻撃したもので、戦争法上、違法であると考えている。
1996年7月に国際司法裁判所は、核兵器の使用および威嚇の合法性に関する勧告的意見(一般的に国際法、特に人道に関する国際法に違反。しかし国家存亡の危機の使用は合法か違法か、結論を出せない)を出しているが、それが今の国際社会の意見であろう。
2、核兵器について広島、長崎で私が考えたことは、日本国民がこういう惨禍に再び見舞われてはならない、それが何よりも重要である、ということである。
3、 日本の戦後の核兵器政策は、国是と言われる非核3原則である。しかしこの政策は、日本が再び核の惨禍に見舞われるのを阻止するのに資する政策かというと、そうではない。核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずというのは、広島、長崎の経験を踏まえた反核感情に沿う政策であるが、国際政治の現実を踏まえた国家安全保障政策として、適切であるのか疑問である。
戦後の日本では、核兵器の問題を安全保障政策上の問題として討議することはタブーになってきた。広島、長崎での原爆の悲惨さが語られることがあっても、何故今も核兵器が引き続き多くの国の安全保障政策の中で重要な位置付けを占めているのかについての真面目な議論はない。これはあたかも戦争の悲惨さを語ることに熱心であるが、戦争がなぜ起こるかを研究しない戦後の日本に支配的な姿勢と軌を一つにしている。
ある時NHKの討論番組で、ある高名な国際政治学者が、日本が核保有することには何のメリットもなく、マイナスばかりであると発言していた。国際政治学者の意見とはとても思えない発言である。
米が1945年にこの兵器を開発した後、1949年にソ連が、1952年に英が、1960年に仏が、1964年に中が、1974年にインドが、1988年にパキスタンが、2006年に北朝鮮が核兵器を実験した。イスラエルと南アも核兵器を保有した。南アは黒人政権成立直前に廃棄した。イラン、リビヤ、シリヤ、イラクも開発しようとした。中華民国(台湾)も開発を試みたが、米の要求を受け入れ、やめたことを2007年に公表した。韓国も朴政権時代に開発しようとした。
ブラジルとアルゼンチンも、1990年に共同で核開発停止を発表するまで開発努力を続けた。中立国であるスエーデン、スイスも核兵器開発を行っていたが、スエーデンは1970年に核不拡散条約署名とともに開発計画を放棄し、スイスは1988年に放棄した。
これらの国は、自国の安全保障のために核兵器の保有が必要であると、一時的にではあれ判断した。この国際政治学者の言うように、核兵器保有が何のメリットもなく、マイナスばかりであるのなら、なぜかくも多くの国が核のオプションを考えたのか、説明がつかない。国際政治の議論は現実をよく見て、それに基づきなされなければならない。
核兵器の保有はその国にとり大きな安全保障上のメリットがあると言う考え方は十分に成り立つ。にもかかわらず、それを断念すると言う決断をすることもありうる。それは周辺からの脅威や核保有同盟国の有無など、諸要因を考えて決めるべき問題である。
ドゴールが米と同盟しつつ、何故独自の核保有を必要と判断したのか。毛沢東が「上策は核をすべてなくすこと、中策は他国も持っているから持つこと、下策は他国が持っているのに自分だけ持たないことであるが、中国は中策を選ぶ」とした判断をどう考えるか。英国でトライデント潜水艦更新時に毎回繰り返される、米の核の傘に頼るだけで十分で独自核は要らないのではないかとの論争と、それが毎回独自核保有は必要と言う結論になることをどう考えるか。そういう議論をよく踏まえた上で、かつ周辺の状況もよく見た上で、日本も議論をすべきであると考える。単にタブー視して、議論を避けるのは責任ある態度ではない。
4、 日本は不幸なことに核兵器保有国に取り囲まれている。同盟国の米に加え、中・露・北朝鮮がある。再び日本が核の惨禍に見舞われないために、これらの国、特に北朝鮮による核兵器攻撃はしっかりと抑止する必要がある。そのためには、今は米の核の傘しか頼るものがない。
米の核の傘については、二つの事例をよく考える必要がある。
第1:1975年にソ連が欧州の都市攻撃が出来る中距離弾道ミサイルSS-20をソ連欧州部に配備した。ドイツの当時のシュミット首相はこの兵器は米と欧州の安全保障をディカプリングする(切り離す)効果があると主張した。
シュミットが言ったのは、「米国がベルリンを守るために米国から反撃したら、ソ連はニューヨークやワシントンを攻撃するだろう。しかし米国がベルリンを守るためにニューヨークやワシントンを犠牲にすることはないであろうから、したがって欧州より発射される核ミサイルで反撃するしかない。」ということであった。それで、欧州へのパーシングIIと核弾頭搭載巡航ミサイルの配備をすること、同時にソ連とこのミサイルを撤去する交渉を行うことになった。
結局この問題は、1987年に中距離核戦力全廃条約が米ソ間で締結され、パーシングIIと巡航ミサイルおよびSS-20が廃棄されることになった。 極東地域に配備されていたSS-20も廃棄された。日本ではディカプリングの議論は起きなかった。
この事例で注目すべきことは、米国がシュミットの議論を受け入れたことである。米本土が攻撃を受けることを覚悟しベルリン攻撃に反撃するのか否かについて、不確定性があることを米は認めたのか。私は米国の当局者にこの点を何度か質問したことがある。答えは核の使用は状況によるが、シュミットの論を受け入れたわけではない、しかしシュミットは重要同盟国の首脳であるので、彼の懸念には配慮すべしということであった、との説明であった。
中国は核戦力を増強し、米ソが廃棄した中距離核ミサイルを保有するほか、今や米本土攻撃能力を持ってきている。東京への攻撃に反撃するためにロス・アンジェルスやサンフランシスコを犠牲にする用意が米にあるのかが、シュミット式の考えをすれば問題になる。
更に北のミサイルが米本土攻撃能力を持つ日は近付きつつある。
そういう中で、米の核の「持ち込み」を排除する非核3原則の第3原則は大きな問題をはらむ。
現に韓国では、米戦術核の再導入が議論されている。
第2:NATOでは、核共有の制度がある。これにはベルギー、ドイツ、イタリー、オランダなどが入っている。同じようなシステムを日米でも作り、米の核使用について日本も発言権を持っておくべきではないかという問題がある。
日本が再び核攻撃を受けないために、どうすればよいのかを現実を踏まえて考えることが求められている。核不拡散条約のこともあるが、反核感情に配慮するだけでこの問題を済ますわけにはいかない。
5、 戦後の国際政治において、核兵器が果たした役割は大変大きい。この兵器は人間の戦争と平和に対する考え方に大きな影響を与えた。フルシチョフが平和共存政策を打ち出した背景には、核戦争が人類の滅亡につながるとの認識があり、マルクス・レーニン主義の帝国主義勢力との戦争不可避論の転換であった。エジプトのサダトがイスラエルとの戦争はもうできないと考えた背後にはイスラエルの核があった。
米ソの冷戦が熱戦にならなかったのは、米ソ間で核の破壊力への恐怖に基づく戦争抑止があったからである。この問題は避けて通るには大きすぎる問題であろう。
6、 私はこの夏、「終戦史録」を読み返した。
広島、長崎の人々は原爆の犠牲になることにより、一億玉砕も辞さずという軍の戦争継続論を圧倒し、戦争をやめさせた。我々がいま生きているのはこの尊い犠牲によるということがよくわかった。我々は彼らに感謝しなければならない。
広島や長崎の人々は広島、長崎の被爆の実相を世界に伝えることに努めている。これはこの非人道的な核兵器が人々に対し使われないようにするために役立つことであり、今後も続けるべきであろう。
しかし国際政治の現実をみると、核兵器をなくすのはほぼ不可能である。人間は一度得た知識を忘れ去ることはできないし、核保有国が核を全部廃棄することは近い将来考えられない。我々は核兵器と共存せざるを得ない。核兵器が抑止機能のみを果たし、実際に使われないようにすることが大切である。
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もう一つ、議論の要素として核兵器導入に必要な予算や人的資源のことも頭に入れる必要があるでしょう。最低でも維持管理施設やインフラ整備に等の整備に、一声10兆円は必要と考えておいてよいのではと思います
末尾にご紹介するように、ブログ「東京の郊外より」では、過去何回も「国際情報センター」の内容を取り上げさせていただきました。Yahooブログ終了に伴い2019年12月に「国際情報センター」が消滅してしまい、もっと掲載されていた記事を残しておけばよかったと後悔しております
2011年12月が最後の更新で、当時から情勢が変化したものもありますが、基本的な考え方は今でもとても参考になります。なによりも、「的確な国際情勢判断をする国民、それが国の進路を誤らない最大の担保です」との冒頭の言葉が強く印象に残っております
茂田宏:岡崎研究所理事長&所長のご紹介
(同研究所webサイトより)
→http://okazaki-institute.org/about/shigeta
茂田宏氏「国際情報センター」関連の記事
「国際情報センター終了へ」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2011-12-18
「ロシア社会の停滞と憂鬱」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-09-15
「INF条約を廃棄すべき」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-08-18
「韓国への戦術核再導入議論」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-08-18-1
「元モサド長官イラン攻撃は」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-05-12
「インテリジェンス 機密から政策へ」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-05-22
「アラブに民主主義がなぜ少ない」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2011-02-02-1
「武器輸出3原則の偽善」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2010-09-15-2
「核密約と抑止(後編)」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2009-12-30
「核密約と抑止(前編)」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2009-12-29
茂田氏推薦紹介のオバマ大統領ノーベル平和賞受賞スピーチ
→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2019-07-06-1