日本が命の恩人:次の在日米軍司令官Dolan少将

読者の「厚ハゲ」さんに教えてもらいました!
US-1a.jpgなんと、次の在日米軍司令官の候補者であるJohn Dolan少将は、大尉で三沢勤務時の1992年1月、太平洋上を4時間漂流した後に海上自衛隊US-1に救助され、九死に一生を得ていたことが判明しました
Dolan少将は、1988年2月から1992年12月まで三沢のF-16操縦者として勤務し、その間の1990年8月に大尉に昇任しており、その間の出来事です
2003年1月号の「Air & Space Magazine」が、世界でも類を見ない優れた荒天着水能力を持つUS-1の紹介記事「Giant Amphibian:Japan has one godzilla of a seaplane」の冒頭で、「Dolan大尉」救出劇を紹介しています
記事「Giant Amphibian」の冒頭部分によれば
1992年1月の凍てつくように寒い日に、米空軍大尉のJohn Dolan大尉はダメージを受けた7500m上空を飛行中のF-16戦闘機から脱出した。
日本本土から700マイル離れた太平洋上に着水した彼は、彼とともに機体から投下した小さな一人用救命ボートの中に横たわり、 高い波に揉みくちゃにされながら、次第に深刻な低体温症に陥っていった
Dolan.jpg着水4時間後、彼がほとんど意識を失いかけていた時、大型の4発エンジンの航空機が ゆっくりと彼の上空を旋回しているのが見えた。 それは”自衛隊”の日の丸つけた、新明和US-1Aだった。
●US-1Aの機上では副操縦士席のレーダーが9フィート以上に波高を示していた。 機長のヒデキ・キダは50トンの機体を荒れる洋上に着水させ、 50ヤード以内に接近した。
●その後、2名の救助要員がドーラン大尉を救助しUS-1Aに収容した。
●そして更に4時間後、大尉は無事に、横田基地の米軍病院に到着した。
●Dolan大尉救出任務は、1976年から運用を開始していたUS-1にとって628回の救助任務の内の1回だったが、軍用機の操縦者を救助した唯一のミッションとなった
●12名の搭乗員がチームとなって活動するUS-1は、潜水艦捜索の任務も担っていたが、船乗り達や日本の離島で暮らす人々にとっては「空飛ぶライフライン」であった
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「John Dolan少将が次期在日米軍司令官にノミネートされた」と慌ててご紹介した際は、誤って「日本勤務無し」とお知らせしてしまいましたが、日本とは「深・・・い」繋がりがありました。
US-1a2.jpg在日米軍の救難部隊は嘉手納を除き戦力が手薄で、嘉手納でさえも「即応態勢」は高くありません。
三沢のF-16や嘉手納のF-15、海軍のFA-18操縦者が、自衛隊の救難部隊に救出されることは良くあることです
しかし自衛隊がこの方の「命の恩人」だったとは・・。今後色んなところで、このエピソードが語られるのでしょう。いいネタですね!
「次の在日米軍司令官候補」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2015-02-19

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