防衛研究所12月号のブリーフィングメモは、国際紛争史研究室長:石津朋之氏の「戦争の将来像—歴史家の立場から」との4ページの小論を紹介しています
僅か4ページの中に、様々な論点が多数の引用や例示と共に詰め込まれており、理解や内容の紹介が難しいのですが、年末年始の様な落ち着いた時にしか「身体が受け付けない」気もしますので、取り上げます。
ただし「多数の引用や例示」を紹介すると、全文の「コピペ」になってしまうので、抽象的な部分の羅列や、個人的趣味での「つまみ食い」にならざるを得ないことをご容赦下さい
石津朋之室長の歴史家的な現代戦争観
●社会と戦争様相の変化には密接な関係がある。そして、新たな時代には新たな戦争の様相が現れてくるのは当然と言え、その過程で「時代精神」が大きな役割を演じることになる。
●新たな戦争様相に接し、「これは戦争ではない」とよく表現されるように、人々は例えば機関銃、航空機、戦車などの登場による戦争様相の変化に、ごく自然な「拒絶反応」を示してきた
●トゥキュディデスが示したように戦争が「利益」「恐怖」「名誉」と密接に関係する営みであるとすれば、将来、戦争が消滅する可能性は極めて低い
●将来社会の方向性や戦争の将来像を見極める「時代精神」は、グローバリゼーションであろう。暴力を独占してきた主権国家は、グローバリゼーションの進展と共に上下からも浸食され始めている。上とは国際連合に代表される国際機関、下とは民族集団や宗教集団、さらには軍閥といった組織である。
●21 世紀の「時代精神」と戦争の関係を見れば、その顕著な特徴として予防や先制といった概念がある。潜在的な敵国が脅威とならないうちに、「手遅れにならないうちに」対策を講じるべきとの、危うい思考を含んでいる
●この具体化が2002年9月の「ブッシュ・ドクトリン」であるが、米国の政策転換を受け、ロシアや中国も予防や先制の原則を採用し、特に国内の「テロリスト」に適応している
●この背景の一つが、今日のリスク社会と呼ばれる社会状況である。リスク社会とは一般的に大きな脅威が明確でない一方で、安全を確保できない状況を指す
●「手遅れにならないうちに」との表現はそもそも、環境問題に取り組む人々が例えば地球温暖化をめぐる議論の中で何度も言及していたものである。地球温暖化の真の原因は、科学的に解明されたわけではないが。
●この環境の「不可逆性」という問題意識こそ出発点であり、「手遅れにならないうちに」対策を講じるべきとの言説は、多くの賛同を得ている。「ネオコン」のアフガンやイラク攻撃を支える論理は、環境派の論理と同根である
●予防や先制の原則が広く許容されると、迅速な軍事力による介入が求められるようになり、その結果、軍事力はあたかもその位置付けを「最後」から「最初」の手段へと変えつつある
●軍事の領域でも戦闘空間の「グローバリゼーション」が進展し、陸、海、空、宇宙やサイバーへの空間拡大が進むが、従来の軍事力と警察力の境界もまた不明瞭になりつつある。実はこれは、主権国家の相対化に伴って暴力がその本来の姿に回帰しているに過ぎない
●これは、将来における主権国家による暴力独占を示唆するものではない。、国家による暴力独占の終焉を端的に物語るものとして、戦争の民営化や子供・女性・老人の戦争への直接的関与といった現象が挙げられる。
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とても概要を伝えられたとは思えないので、ご興味のある方は4ページの小論をご覧下さい。
それにしても、高見澤前所長が交代されて以降、防衛研究所の発信力は「ガタ落ち」です。所長自らの発信力も「たぶん」そうでしょうが、所員の発信意欲も「急降下」しているように思われます。
発信の頻度、内容のタイムリー性等々、どの視点から見ても「つるべ落とし」との表現がぴったりでしょう。防衛政策面での防衛省・自衛隊との協力が増え、多忙になったのかもしれませんが、これほどの「凋落」は見るに忍びません。来年は心機一転、頑張って頂きたいものです。
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