アウンサンスーチーの退場

clintonsuti2.jpg2月号の月刊誌「正論」が「折節の記」の中で、「ミャンマー民主化の旗手」と言われているアウンサン・スーチー女史の役割は終わったと述べています。
種々の出来事を組み合わせ、想像をたくましくした部分もありそうなので注意も必要でしょうが、感覚的にそうなんだろうなと思わせる中身ですので概要をご紹介いたします。
広大な邸宅での「軟禁」
●昨年12月にクリントン米国務長官がミャンマーを訪問し、スーチー女史の自宅を訪れ、野球場一面が取れそうな広さの手入れされた裏庭で歓談する写真がローター電で世界に配信された
clintonsuti.jpg●この地域は中国で言えば「中南海」で、庭の向こうには湖が広がり、ミャンマー支配者層や米国大使館も周辺の湖畔に集まっている。
●スーチー女史が軍事政権により、2LDK程度の狭い自宅に閉じこめられているなどと誤解していた方が多いのではないかと思うが、実際は美しい白い2階建ての邸宅で10部屋以上は十分にあり、裏庭ではゴルフの練習だって可能だったのだ。
スーチーは正体をさらした
●スーチーが30年以上の英国生活からミャンマーへ戻った当時ミャンマーは国連で英国の植民地支配を糾弾していた。英国がビルマ王家から奪った財宝の変換を実現したりしていたのだ
英国はミャンマーを何とか黙らせるためにスーチーを送り込んだのだ。スーチーは公道での集会は禁止なのに、広い庭を使わずに、わざと騒ぎを大きくしてミャンマー政府の悪評を世界に宣伝するのが役割だったのだ
●昨年9月末、中国の支援で計画が進んでいたイラワジ川の水力発電所計画に「待った」をかけた。中国の支援を断ったら野垂れ死にするのでは、と多くが懸念した
myannmarsuti.jpgしかしやっと理由が分かった。中国を牽制するため、米国はミャンマーに接近し、ミャンマー側も英国植民地時代の遺恨を水に流し、中国と距離を置くことを約束していたのだ
広い庭を持つ邸宅をさらすことで、スーチーは手の内を見せたのだ。スーチーの役割は終わった。それが広い裏庭でのヒラリーとの会談だった。
日本の外務省は知っていた
●日本の外務省では「スーチーは悪者」との説が伝えられていた。彼女の自宅の向かいに日本大使公邸があり、騒ぎを起こす様子などを見ていたからである。
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「中国と距離を置くことを(米国と)約束していたのだ」であれば良いのですが・・
中国が狙う「真珠の首飾り」戦略の進捗や中国資本によるミャンマーインフラの整備(鉄道、高速道路、港湾)の今後に注目して参りましょう。
それと・・・日本でスーチーを支援していた人たちの身の振りようも。
「印とミャンマーと日本」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-12-29
「ミャンマーの魅力と課題」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-10-29-1

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