世界に残された最後のフロンティアであるミャンマー(ビルマ)。クリントン国務長官が訪問し、日本の玄蕃外務大臣も年末押し迫って駆けつけ訪問したところです。
当ブログでも「ミャンマーの魅力と課題」と題した記事を掲載し、皆様のご興味に供してきたところです。
→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-10-29-1
そんな中、インドとミャンマーの関係をケーススタディーに、日本のミャンマーとの関係について考察する一文が岡崎久彦氏のブログに2本掲載されましたので、2つまとめてご紹介します。
インドとミャンマー関係の経緯
●1988年にミャンマーで軍が選挙結果を無視して民主派を弾圧した時、インドは民主主義、自由、人権の側に立って逃亡する学生を助け、インドで抵抗運動を組織することを許し、民主派の新聞や放送を支援した、
●しかし、その後、インドのライバル、パキスタンと中国がミャンマーに接近、経済的利権を勝ち取り、地政学的地歩を築いた。また、ミャンマー軍事政権は、インドの反体制派に聖域と武器を提供する事態となった、
●インドは自分の裏庭でライバルが地歩を築くのを座視できず方向を180度転換、インド内のミャンマー反政府派の拠点を閉鎖し、ミャンマー軍事政権に軍事援助や情報協力を行うなど、民主化支持から軍事政権支持に変わった、
インドの姿勢を評価すると
●ミャンマーは中国支援の巨大水力ダム建設を中止したが、これはミャンマーが中国の属国ではないということ、そして米国が民主化の推進役となる余地があることを示すもの
●今回のミャンマー国政選挙とテイン・セインの大統領就任に伴うミャンマーの開国は、インドの行動をある程度正当化してくれるだろう。
●実際、軍事政権と関係を持ちつつ、静かに変化を促したインドのような国の方が、非難や制裁によって将軍たちの態度を硬化させただけの西側諸国よりも成果を上げた、
●対ミャンマー政策は、国際政治上の考慮と民主主義の価値のどちらを優先すべきか、という古典的なジレンマをわれわれに突き付けてきた
●最近のミャンマーの動きは、軍事政権が事態の掌握に自信を深めているが故に出てきた政治統制緩和の動きでしょうが、これを利用しない手はない。
日本も主体的に外交を進めては
●日本はかつてミャンマーと良好な関係にありましたが、米国の意向もあって、関係は悪化の一途をたどってきました。今日本は今方向転換をしつつあり、結構なことです
●インドのように、主体的な外交を展開することには大きなメリットがあるということに今更ながら気づかされます
●米国との関係は当然重視すべきですが、対ミャンマー政策のような場面ではもっと自由に行動する方がよいように思われます
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相変わらぬ米国のダブルスタンダード
●米国の態度は中途半端です。米国のビルマ政策の従来の問題点は、人権、民主主義などの問題で、中国と比べてダブル・スタンダードを採ってきたことで、中国に厳しく出来ない分だけ、議会対策でビルマに厳しかった。
●今でも、米国の論者の多くは、ビルマに対し、一部の政治犯ではなく、全員釈放を国交正常化の条件とすべきだと主張していますが、中国に対して同じ要求をすることは現状ではとうてい考えられません。
日本とビルマ(ミャンマー)の接点
●ただ、いずれにしても、戦略的、地政学的に、ビルマ接近論が米国に表れて来た今は、日本にとってビルマとの関係改善の好機でしょう。
●それにしても悔やまれるのは、日本とビルマをつなぐ人脈が過去数十年の逸機の間に無くなってしまったことです。最後のいわゆるビルキチ(ビルマ狂い)は伊藤忠の高原友生氏でした。
●彼が士官学校を卒業して任官し、ビルマ軍参謀部に赴任した時は、在ビルマ日本軍全軍の中で最年少だったと言われますが、その高原氏が2年ほど前に亡くなっているのですから
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対ミャンマー関係にかかわらず、日本が独自の役割を果たしうる2国間関係は他にもあるように思います。
中東にせよ、アジアにしろ・・・、アフリカは少し難しいでしょうが