2011年11月2日、442連隊へ米国民最高の「議会勲章」授与
これを記念して、以下の記事を再掲載いたしました。
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映画「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」を新宿の小さな劇場で見てきました。
90分間があっと言うまでした。
何故もっと大規模に劇場公開してくれないんだろう・・・。このまま劇場公開が終わってしまってもいいのか・・・。11月13日から12月3日までの短い公開。それも客席100席余りの小さな劇場・・・。
もっと広く見られ話題にされ、議論されるべき映画ではないのか・・。そんな気がしてなりません。
YouTube予告編→http://www.youtube.com/watch?v=tbO6K_Ig7Y4
Yahooコメント欄→http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id337918/
紹介サイト→http://navicon.jp/news/9842/
紹介サイトより
第2次世界大戦時に日系人で編成された部隊・アメリカ陸軍442連隊に迫るドキュメンタリー。人種差別と戦いながら、父母の祖国・日本と戦う苦悩と葛藤(かっとう)を抱えた兵士たちの揺れる心を、当事者たちの証言でつづっていく。監督は「すずきじゅんいち」。名誉のために命を懸け、偏見と戦った兵士たちの真実に注目だ。監督は、アメリカ在住のすずきじゅんいち。すずき監督は、本作を日本人にこそ見てほしい作品と紹介している。
本作は、日系人史ドキュメンタリー第2弾にして、最高作の呼び声も高く、2010年マウイ・フィルム・フェスティバル<観客特別賞>を受賞した。7月末ロサンゼルスでの公開以来驚異的な動員数を記録し、現在も全米各地で上映が続いている。
以下は、昨年11月に偶然掲載した記事の再録です。2本続けて・・
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11月1日、第2次大戦中の10大戦闘に数えられる「失われた大隊(Lost Battalion)救出作戦」の65周年記念行事がヒューストンで行われ、救出された141連隊の兵士と救出した「米国陸軍史上最大の勲章数」を誇る442連隊戦闘団の面々が集いました。写真のようにマレン統合参謀本部長議長も参加し、その栄誉をたたえました。
救出に当たった442連隊戦闘団は「Nisei(二世)」と呼ばれる日系人で構成されていた部隊です。戦時中、米本土内では差別的な扱いを受けていた日系人ですが、「米国人たる日本人」の存在を示すため志願にした者で構成されました。
当初は米軍幹部も扱いに迷ったようですが、その優秀さから欧州戦線で大活躍し、トルーマン大統領自らが7枚目となる「大統領感状」を授与に赴くまでに至った伝説の部隊です。
その戦いの激しさは死傷率314%、つまり定員約3千人の部隊で述べ9500人の死傷者を記録していることからも明らかで、名誉戦傷戦闘団(Purple Heart Battalion)とまで呼ばれました。
65周年を迎える「失われた大隊(Lost Battalion)救出作戦」ですが、1944年10月25日、ドイツ軍に包囲されて孤立した約230名の141連隊を救出せよとの命令が時のルーズベルト大統領から出され、これに応じた442連隊戦闘団がフランス東部ボージュの森で800名余りの犠牲者を出しながらも、同30日に任務を達成したとの話です。
救出後の歓喜の中で、救出された側の少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されています。
また激戦の後、最初に独軍の包囲網を突破したサクモト1等兵が、喜ぶ141連隊のエディー・ガイ軍曹に平然として「たばこを吸うか?」と訪ねたなど、その剛胆ぶりが数々伝えられています。
戦争中に442連隊は18000個もの勲章を授与されており、その数自体が他を圧倒しているのですが、戦後日本への感情を廃して見直しがなされ、多くの勲章格上げがなされたとのことです。
連隊ワッペンに記されたGo for brokeは「当たって砕けろ」の意味だそうです。まさにそのとおりの働きでした。
いろいろご意見もございましょうが・・・背筋が伸びる思いがする話です。
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