昨日の海軍士官学校に続き、本日は陸軍士官学校のチアガールです。写真はリン国防副長官とマクヒュー陸軍長官へのアピール場面です。
本題のバルジ大作戦です
12月16日が作戦開始65周年に当たります。旧連合軍のみなさんはベルギーやフランスで色んな再開行事をやっており、米国防省HPに紹介されてます。
●作戦の背景
ノルマンディー上陸作戦後の欧州戦線、1944年、補給線の延びきった連合軍の進撃は休止し、戦線は膠着状態にあった。この状況を打開するため、9月17日計画したマーケット・ガーデン作戦が開始されたが、多くの犠牲とともに大失敗した。戦線は再び膠着し、連合軍は一時的に進撃を中止して重大な問題となっていた補給対策に取り組み始めた。また東部戦線も同じ時期、ソビエト連邦によるバグラチオン作戦がポーランド東部で息切れしていた頃で、小休止状態にあった。
この機会に乗じたヒトラーは乾坤一擲ともいえるような反撃作戦を構想した。おそらく1940年のフランスに対する電撃戦の勝利を再現しようとしたもので、ベルギーのアルデンヌ地方の森林地帯を装甲部隊が突破し、西部戦線北方の連合国軍を包囲、壊滅させるという案であった。独軍部首脳は無謀だとして反対したと言われているが、さらにヒトラーはこの作戦の成功により西部戦線の停滞、もしくは講和を実現させて、東部戦線に戦力を集中させようとしていたと推測されている。
●作戦の概要
1944年12月16日
独軍はベルギーのアルデンヌの森を通って進撃を開始した。折からのひどい悪天候により、連合軍は航空機を飛ばすことができず、大いにドイツ軍の助けとなった。
突然の反撃に不意を突かれた米第8軍は、旅団、連隊、大隊など高級部隊長の戦死や負傷が続出し、壊滅するか、捕虜となるか、包囲されるかという窮状となった。しかしながら、その驚きと混乱に乗じたドイツ軍の快進撃は最初の数日間しか続かなかった。12月下旬に差し掛かると、ドイツ軍の主力部隊はあちこちの地域で各地から急行してきたアメリカ軍による強力な抵抗に会い、前進は非常に遅くなった。また各戦線の進撃速度にも大きなバラつきが生じ、速攻に成功した部隊に包囲反撃が集中する事態が続出した。
ヒトラーはどうやら連合軍がこの事態に対応するのに時間がかかると考えていた節がうかがわれる。ドイツ軍の大規模攻勢を認識するのに数日、アイゼンハワーの部隊配置転換命令に数日、そして部隊の現地到着に数日。それだけ時間があれば作戦は間違いなく成功すると思ったのだろう。しかし連合軍の反応は予想より遥かに早く、またアイゼンハワーの決断も早かった。彼はどの首脳と相談することもなく部隊の配置転換を断行た。ヒトラーの思惑は初日から砕かれてしまったのだ。
12月23日
天候が回復し、連合軍は空爆と空輸を開始した。航空爆撃はドイツ軍の補給基地に壊滅的な打撃を与え、P-47 サンダーボルトは路上のドイツ軍を攻撃した。
12月24日
補給線の限界を超えたドイツ軍の進撃はムーズ川の近くで失速した。燃料と弾薬の枯渇が致命的であった。また、作戦が開始されるとドイツ軍は無線封鎖を解除したため、連合軍の情報部は容易にドイツ軍の位置を割り出して、的確に反撃することができた。この時点までドイツ軍の損失はパイパー戦闘団の消耗を別として軽微な物であった。24日の夜に幕僚が作戦の停止と撤退を進言したが、ヒトラーはそれを拒絶した。
12月26日
連合軍第4機甲師団の一部がバストーニュに達し、包囲は破られた。
1月23日
ドイツ軍司令部により、作戦の停止が決定された。戦闘は公式には1945年1月27日に終了した。
●作戦の被害
アメリカ軍の戦死者・負傷者・行方不明・捕虜は75,522人、イギリス軍の戦死者は1,408人
ドイツ軍の戦死者・負傷者・行方不明・捕虜は67,675人
●作戦の評価
作戦により、連合軍はより多くの戦力を割かねばならなくなり、進攻計画に数ヶ月の遅れを生じさせたが、ドイツ軍は決定的な敗退と損失を被ったことで、戦争の終結は早まった。
また、攻勢に出てきたドイツ軍の中核を補給が続かなくなった時に壊滅させたことで、進攻による連合軍の被害は最小限に抑えられたと考えることもできる。さらにドイツは東部戦線に軍を回す余力もなくしたため、ソ連の進撃速度を速めるという結果も生んだ。
ドイツ軍が西部戦線で大勝利を収めたとしても戦線を維持するために兵力を貼り付けておく必要があり、余った兵力(この時点でドイツにはすでに余剰兵力などなかったが)を東部戦線に回して巻き返すのはこの時点ではまず不可能だったろう。結局のところヒトラーは出なくても良い、勝てたとしてもあまり効果がなさそうな賭けに出て、しかも負けた、ということになる。
一方で連合軍は、数々の事前情報があったにもかかわらず、開戦時に突破されたアルデンヌの森を再び突破されるという状態で、戦後厳しく批判されている。独軍は燃料確保や種々の補給面で最初から「賭け」の要素が強い作戦でヒトラーの独走であったが、厳しい中でも戦術的には部隊はよくやった方であろうとの評価です。
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