パネッタ長官に始まった国防省・4軍幹部の交代も、9月30日のデンプシー統合参謀本部長就任、そして10月5日のリン国防副長官の退任(カーター国防次官が後任)で一段落と成ります。
それぞれに大きな出来事なのですが、細かくフォローしてきませんでしたので本日取り上げたいと思います。
5日に退任するリン副長官は、3日記者団のインタビューに応じ、来年2月に議会に提出予定の任務見直し・予算削減の検討状況等について、また30日就任したばかりのデンプシー議長は、3日オフレコの会見に応じていますので、それぞれの概要をご紹介(デンプシー議長は公開可能な小ネタのみ)します。
リン国防副長官は・・・
●2023年までに$450 billion削減するために、我々は現在より小さな戦力組成と兵器近代化計画の縮小を余儀なく事は明らか。また軍務に付くことで得られた各種の補償や特典にも目を向けなければならない。
●また接近拒否や領域拒否戦略に対抗するため、長距離攻撃能力を改善しなければならないし、サイバー戦分野でやるべきことが多い事も明らか。皆さんもこれら大まかな方向は理解していただけると思うが、細部が決まったわけではない。
●先週(26日の週)、パネッタ長官以下、4軍の長と地域コマンドトップ、各軍長官、国防省の主要幹部が一堂に会し、丸一日会議を行った。そこでは全体枠組みの話し合いであるが、取捨選択の議論も行われた。最終的な決断があったわけではない。
●どのような国家安全保障の戦略を採るべきか、どのような修正を行うべきかを話し合った。空母の数や陸軍の最終的な形等の細部は決まっていない。
「脅威の見方を変えよ」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-06-09
「グアム島の住民と対話も」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-07-28
「国防省サイバー戦略発表」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-07-15
「googleとサイバー戦を」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-02-18
冒頭の写真のように、勤務最終日の5日も仕事に取り組んだリン副長官。派手な退任式も恐らく辞退し、メッセージだけを残しての去っていきました。
そのメッセージには・・・
●本職に就任以来、最前線の兵士達が防弾チョッキに身を包み、戻れるかどうかの保障のない任務に向かう姿に畏敬の念を覚えつつ毎日を過ごしてきた。そしてその兵士を送り出した寡黙な家族や負傷兵の犠牲の内にある静かだが強い決意に身の引き締まる思いを感じてきた。
●また911事件で標的となったこのペンタゴンに、毎朝黙々と通い、国のために働く文民職員の貢献に感謝したい。
デンプシー議長のオフレコ会見から小ネタ
●デンプシー大将は、軍人が制服に着装する勲章リボンを8段にもなるほど授与されているが、同大将は尊敬するマーシャル陸軍参謀総長(国防長官と国務長官も歴任。マーシャルプランでお馴染み)に習い、儀式時を除き2段しか装着しない。
普段装着するのは、統合業務で授与されたモノと授与された最上位のモノのみ。過去の業績よりも将来の課題に目を向ける気持ちで。
●デンプシー議長の執務室の机は、マッカーサーがフィリピンで使用していたものと同じ型(4 by 6 feet)。また執務室にはマーシャル将軍の等身大強のオリジナル油絵が。なお、議長自宅の書斎には、初代議長であるBradley大将が使用した机がある。
●執務室の卓上には小さな木製の小箱がある。イラク戦争時の2003-2004年に第1装甲師団長だった時のもので、中には当時の戦闘で命を落とした部下の名前・写真・家族構成を記したカードが納められている。木箱の側面には「その思いを生かせ(Make it matter)」と刻まれている。
●議長就任が承認された後、同大将は陸軍士官学校の経済学教育部を訪問し、緊縮財政下でのペンタゴン指導者のあり方について意見を求めた。高名な教授のほかに、英米の大学で学位を納めたばかりの少佐クラスの意見にも耳を傾け、非常に興味深く有意義だった。議長は将来の予算案について、一部は科学と言うより芸術である、と語った。
デンプシー新議長紹介の特設ページ
→→http://www.defense.gov/home/features/2011/1011_dempsey_cjcs/
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“art, not science.”だそうです。陸軍の主力たる戦闘旅団を40個の中から10個削減しても、装備の再配分等で実質の能力アップが可能とのアイディアを打ち出したデンプシー大将ならではの表現です。
リン副長官がサイバー戦の重要性を世界中の同盟国に訴えて歩いたことが、何時か実を結ぶことを祈るばかりです。