本日は、40年前に経済学者レイヨンフーヴッド(Axel Leijonhufvud 1933年生)が発表し、その痛烈な批判精神と構成力と笑いで大きな話題を呼んだ論文「エコン族の生態:Life Among the Econ」をご紹介します。
筆者はスウェーデン生まれの経済学者で、現在はUCLA名誉教授とイタリア・トレント大学の教授を勤める80歳。同論文執筆当時はUCLA教授でした。
経済学者として、重鎮の地位にある彼の著書には、邦訳代表作だけでも
『ケインジアンの経済学とケインズの経済学』、東洋経済新報社、1978年
『ケインズ経済学を超えて』、東洋経済新報社、1984年・・・等があります
同論文は、当時40歳の筆者がWestern Economic Journalに掲載(1973年)した論文で、経済学会とそこで生きる学者達の生態をエコン族という極北に住む特殊部族に例え、寓話化して痛烈に批判したものです。原文はUCLAサイトに
→http://www.econ.ucla.edu/alleras/papers/Life%20among%20the%20Econs.%20Leijonhufvud%201973.pdf
まんぐーすは原文を読んだわけでなく、京都大学の佐和隆光氏の著書『経済学とは何だろうか』(岩波新書1982)及び日経新聞「経済教室」で、佐和氏が「エコン族の生態」について紹介したものを読みました。
当時はその内容を実感として受け止めたわけではありませんが、その描写があまりにも巧みで軽妙だったので強く印象に残っています。過去40年間で周期的に話題になった寓話論文で、多様な応用が可能です
同論文の概要を「大泉一貫のBlog」より
(2006年2月24日掲載)
●エコン族(経済学者集団)は、先祖伝来の極北の地に居住する民族であり、隣国のポルスシス族(政治学者)やソシオグス族(社会学者)に対する優越感を満喫する極端に排他的な民族である。
●彼らの社会的連帯は、よそ者に対する不信の共有によって保たれており、また内に対してもこの民族は高度に身分志向的である。民族内部での階級は、フィ-ルド(専攻分野)によって決まり、階級内での身分序列は、モドゥル(数式によって表される経済モデル)づくりの腕前によって決められる。
●しかし作られるモドゥルの大半は、実際の役には立たず、神前に供える御供(専門誌上の陳列物)として用いられるにすぎない。
●階級としては、マス・エコン(数理経済学)、ミクロ(価格分析)、マクロ(国民所得分析)、デブロプス(経済発展論)、オ-・メトルズ(実証的研究)などがある。階級間の序列は、おおよそ記した順序どおりである。
●最高位のマス・エコン階級は部族の司祭としてあがめたてまつられており、デブロプス階級はモドゥル作りがへたくそなため、また、オ-・メトルズ階級は汚らわしい手仕事に従事するがゆえに、いずれも下位に位置づけられている。
●もっとも、階級間でおたがいどうしけなしあうのが、エコン族特有の風習であり、この部族の階級構造は、一筋縄で片がつくほど単純明快ではない。
●そして今、エコン族は環境破壊と貧困に苦しみつつある。モドゥル乱造の結果生じた廃棄物や、穴掘り職人による乱開発などで・・・
(以下、大泉一貫氏のコメントたぶん・・)
●「エコン族の生態」は、1970年代に留学した佐和隆光氏(写真左)が著書『経済学とは何だろうか』で、アメリカ経済学界の実態を念頭に紹介したものである。今でもその実体は基本的に変わっていないであろう。
●現在の経済学はアメリカによって支配されているといっても過言ではない。佐和氏によれば、当時のアメリカでは毎年800人余りの経済学博士と2500人前後の経済学修士が誕生していたという。
今でも基本的に変わらないであろう。
●佐和氏は、アメリカの大学院は、「欧米諸国のなかでも、きわめて特異な性格をもつ研究者養成機関」と批判する。ヨ-ロッパの大学に残るアマチュア的発想やアカデミックな雰囲気は締め出され、プロフェッショナルなスペシャリストを大量に生産する機関となったのだ。
●数で世界の経済学界を圧倒するアメリカ経済学界は、どうやら数式偏重の偏った独特の世界を築き上げてしまったらしい。
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「エコン族の生態」描かれた「モドゥル」の達人達は、第2次大戦中オペレ-ションズ・リサ-チ研究のため動員されていた数学者の一部で、第2次大戦後、経済学に職を求めて流れ込んだという事情があったようです。
一方、リーマンショックの背景にある金融工学を生み出したのは、冷戦中に核開発等の高度な兵器開発に従事し、冷戦後に職を失ってファイナンス分野に移った技術者だった、とも言われています。
ブログ「東京の郊外より・・・」の紹介文には、「Cool head but Warm heartで」との言葉を添えています。
●この言葉は、かの著名な経済学者 J.M. ケインズの師であり、近代経済学の祖と言われるアルフレッド・マーシャルの言葉です。
●マーシャルは19世紀末のロンドンの貧民街を歩き、その悲惨な状況に触れ、そのような貧困下にある人々のために経済学を深めようと決意したと言われています。
●その思いを、 43 歳でケンブリッジ大学の政治経済学教授に就任する際、「冷静な頭脳と温かい心( cool head but warm heart )を持ち、周囲の社会的苦難と格闘するため、進んで最善の力を発揮するような・・(中略)・・そのような人材が増えるよう最善を尽くしたい」とスピーチしたと伝えられています。
●また実際に学生を貧民街に連れて行き、同じ言葉で学生を導いたと言われています。
まぁ・・煩悩に負け続ける日々ですが、まんぐーすはせめて看板だけでも「Cool head but Warm heart」で
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過去の主要記事リストを更新作成しました
→http://crusade.blog.so-net.ne.jp/2012-06-25