「温故知新」シリーズで、約2年前の記事の再掲載です
晴天発生率の特異日で東京オリンピックの開会式日にも選ばれた(2010年)10月10日、産経新聞朝刊7面に曾野綾子女史が、日本のメディア界を描写すべく連載コラム「透明な歳月の光」に一文を寄稿されています。
ずばりその中身は「中国を礼賛し続けた日本のマスコミ」を痛烈に批判する内容です。
そのコラムからポイントを引用すると
●中国各地で日本料理店や日本車が襲われて破壊されているが、いつ見ても愚かさ丸出しの感情的表現だ。日本人はこのような行為をまねしないよう、他山の石としたい。
●マスコミは管総理や仙石官房長官を責任逃れの発言と叩くが、そもそも中国にあってはならないしっぽの振り方をし続けたのは日本のマスコミだったのである。
●今から40年前、産経と時事通信を除く日本のマスコミは、特派員を受け入れてもらうために、完全に中国政府の意図を代弁する記事を書き続けた。
●朝日、毎日、読売などの全国紙のみならず、東京新聞等も中国批判は一切書かず、私たち筆者にも一切書かせなかった。私が少しでも中国の言論弾圧を批判すれば、その原稿は私が表現を修正しない限りボツになった。
●私に言わせればマスコミは正気で「発狂」していた。意図的に、権威と脅しの幻影に追従していたのである。中国の近・現代史が以下の多くの人民を殺害し、言論、学問、職業選択の自由を迫害していることには触れなかった。
●マスコミが尖閣の小競り合いとらえて政治的手腕の欠陥を言うなら、自身が書き続けた過去の無責任な、歯が浮くような中国礼賛の記事の責任を十分に取るべきだろう。
●マスコミは戦後一切の抵抗の精神を失い、今も部分的に失ったままなのである。
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「今も部分的に失ったままなのである」・・部分的が3割なのか7割なのか、メディアによってはマイナス5割程度の「抵抗」をしているところもあるのでは・・・と感じる今日この頃です。
実家が朝日新聞を購読していたまんぐーすも幼き頃、学校の社会の宿題プリントに「中国には泥棒がいないそうです」と書いた覚えがあります。
先生は短く赤えんぴつで「本当ですか?」と短くコメントを書いて返してくれました。もう少しあの先生と話しておけば良かったかも。
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約2年前の記事ですが、教訓未だ生かされず・・・
「脅威の変化を語らせて」
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