パネッタ国防長官離任の辞

cere3.jpgブログ「東京の郊外より・・・」の原点に立ち返り、パネッタ長官離任の辞をご紹介いたします。まんぐーすの個人的好みで、お気に入りの箇所を・・・
ところでこの8日の儀式、「farewell ceremony」とか「armed forces farewell tribute to honor him」とかの名称で表現されていますが、本当にパネッタ氏は職務を離れたんでしょうか? 重要な職ですので、後任者が決まらないと「空席に出来ない」とか報道している記事もあり・・・
出席者に感謝を述べた後、冒頭ジョークは・・
●トルーマン大統領はかつて言いました。「ワシントンDCで真の友人を得たければ、犬を飼え」と。そこで私は「Brabo」を飼うことにしました。(Braboは式典に出席しています)
cere4.jpg●彼はビンラディン作戦を決定した会議にも出ていたし、他の重要な会議のほとんどに出席した。でも彼はそこで聞いたことを一度も口にしたことが無く、漏らさなかった
●議事堂やホワイトハウスの夜景をはじめて見た時の、畏怖の思いを忘れたことはありません。イタリア移民の息子でありながら議員となり、政府の要職を経験させてもらってアメリカンドリームを生きることが出来たのかもしれません
●初めて議員としてワシントンに来たとき、先輩のシカゴ選出のAnnunzio議員から「イタリア同窓会に入れ」と言われました。でも「仕事中心じゃなくて、食事の方だ」と言われ、そのとおりでしたが・・。
CIA長官に任命された時、家族が私のためにマグカップを用意してくれました。そこにはCIA、つまり「California, Italian, American」と書かれてありました。大統領、このような人間を23代の国防長官に任命し、サポートして頂き有難う御座いました。
●私は、ほんの少しかもしれないですが、両親の夢であり我々全ての夢でもある「我々の子供たちにより良い生活を人生をあたえること」が出来たのかもしれないと思っています。
忘れえぬ誇りと興奮
cere2.jpg私は決して忘れることが出来ません。対ビンラディン作戦が成功し、大統領による発表が行われた後の夜を。ホワイトハウスを後にするとき、庭の周りに集まった人々が「USA, USA」と叫んでいたあの光景を。
●また最前線で命を懸けて任務についている兵士の目を忘れることは出来ません。過去の戦いで祖国を守った退役軍人の人たちとの出会いや過去10年の戦いで負傷した兵士たちも・・・。
●同時に、祖国のために戦いその命を落とした兵士家族への手紙にお悔やみの言葉と署名する悲しみも忘れることは出来ないでしょう。しかしまた、無くなった彼らの犠牲心、勇気、勇敢さは、私に新たな米国への誇りと将来への希望を思い起こさせてくれます
不確実な時代に・・・
チャーチルは言いました「将来を知ることは出来ないが、過去は我々に希望を与えてくれる」と。不確実な時代ですが、私の公職での経験は、この国のリーダーたちは一致団結して困難を克服し、21世紀のチャンスをモノにすると希望を抱かせてくれます
cere.jpg●我々は戦争を乗り越え、災害を乗り越え、大恐慌を克服し、全ての危機と立ち向かって来ました。その歴史は決して、決してあきらめないのが米国民である示しています。我々の子孫によりよい生活や人生を与えるために
●(奥さんへ)彼女からのバレンタインプレゼントは、共に故郷に帰ることです
今後も私は神に祈り続けます。国家の要請に自らを捨て勇気を持って応じてくれた兵士のことを。自由と勇気に満ちた祖国アメリカ合衆国のことを
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ビンラディン作戦が成功した夜のことは、フロノイ前政策担当次官も退任の際に「忘れられない夜」として語っていました。それほど大きな賭けだったのでしょう。
でも、バレンタインのプレゼントが故郷への帰還ならば、もうワシントンDCにはいないかもしれませんね・・。
トランスクリプトは
→http://www.defense.gov/speeches/speech.aspx?speechid=1749
米国防省web記事は
→http://www.defense.gov/news/newsarticle.aspx?id=119247
パネッタ長官のご活躍を約60本の記事で
→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301808881-1

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