父親がイラン人でイラン革命時にイランから脱出
母親は米国人で生まれはテキサス州
14日付Military.comが、間もなく中東に派遣されるであろう空母トルーマンの艦長に7月から就任しているKavon Hakimzadeh大佐を取り上げ、イラン人の血が流れる彼と彼の家族のこれまでを紹介しています
タイトルでは「亡命イラン人」と表現しましたが、同大佐がテキサス生まれであれば米国籍を持っていると思われますので不正確かもしれませんが、誕生後赤ん坊時代にイランへ移住し、イスラム革命吹きすさぶイランから11歳時に脱出しなかったら、恐らく今もイラン人としてイランで生活していた人物だと思います
高校卒業後に米海軍に入隊し、経緯は不明ですが士官となってE-2早期警戒機に搭乗し、7つの異なる米海軍艦艇で勤務し、中東での作戦も既に複数回経験した歴戦の海軍士官で、空母トルーマンの艦長ともなれば相当期待される人物です
任務に関することに記事は触れていませんが、多様な人材を取り込む米軍の一端をご紹介すべくHakimzadeh大佐の人生を取り上げます
14日付Military.com記事によれば
●Hakimzadeh大佐は、テキサス州でアメリカ人の母親とイラン人の父親に生まれたが、まだ赤ん坊だったときにイランに引っ越した。彼は1970年代の子供時代を懐かしく思い出す。
●同大佐はペルシア語と英語を話す国際学校に通い、南部バプテストの母親の信仰を守り、近くに住んでいた叔父といとこと交流していた。当時、イランは親米であり、西洋文化の多くの側面を受け入れていた。それでも彼は「牧歌的な」子供時代だったと回想する。
●しかし、それは1979年のイスラム革命で大きく変わった。彼と彼の家族は、彼が11歳のときに米国への避難を余儀なくされた。彼の妹は9歳で、母親は妊娠7ヶ月だった。
●イランの空港が閉まりそうになる中、飛行機になだれ込み、父親の仕事上の知人を頼ってミシシッピ州ハッティズバーグ近くの小さな町に向かうことになった。
●同大佐は海軍に入隊し、軍が提供した機会を利用して、彼と彼の家族が彼らのために行ったすべてのことを愛する国に返した。30年前にノーフォークに停泊する空母を目にし、自身で空母の艦長になると設定した目標を今年7月に達成した。当時、彼は若い船乗りであり、高校を卒業してすぐに海軍に入隊し、約10年間しか住んでいなかった国に仕えることを決心した。
●コールサインが「ハク」である同大佐は、ノーフォークに拠点を置くE-2早期警戒機の飛行士としてのキャリアの大半を過ごし、イラクとアフガニスタンの戦闘地帯で飛行し、7つの異なる船で8つの作戦遂行に関わった
●現在同大佐は、中東に戻る可能性に備えている。彼の空母戦闘群は展開前の演習を既に完了した。米海軍はその空母がどこに行くのか、いつ行くのかを明らかにしていないが、空母は世界中で緊張が高まった際の視認性の高い抑止力として頻繁に使用される。
●空母リンカーンは現在、イランがアメリカの無人機を撃墜し、外国の石油タンカーを押収した後、中東で任務についている。空母トルーマンがこの地域でリンカーンの地位に就くように呼ばれた場合、空母トルーマン乗組員は準備ができていると同大佐は語った。
●「特定の個人的な不安は関係していない」、「過去に何度も展開した」と彼は言った。
●同大佐の名前は米国では珍しく、また彼が米国の同盟国である中東の国に展開するときに橋渡し役として働けると感じている。同大佐は今でも少しペルシア語を話し、彼の家族の話をもっと知りたいと思っている人たちには喜んで伝えている
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空母トルーマンは、米空軍が2020年度予算案で25年早期退役案を打ち出し、米議会から猛反発を受けて頓挫した曰くつきの空母で、空母乗員はこの春から夏にかけての予算審議を複雑な思いで見てきたと思います
そんな単純ではない状況で7月から艦長を任されたのがHakimzadeh大佐です。このタイミングでいい加減な人間を艦長に命ずることはありません。武運長久を祈ります!
空母と多様な人材の記事
「空母トルーマンの25年早期退役案で紛糾」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2019-03-29
「空母関連の映像4つ」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2018-05-20
「ベトナム難民が艦長として故郷に錦」→https://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-11-18-1