現在は内閣参与で、小泉首相の元総理首席秘書官だった飯島勲氏が、雑誌プレジデント2月3日号で「知られざる寺院」として、皇室の菩提寺の位置づけを持つ京都の「泉涌寺(せんにゅうじ)」を紹介しています。
まんぐーすは恥ずかしながら、名前は聞いたことがあるような気がしますが、全くその位置づけや重要性を理解していませんでした。飯島氏が「日本人が京都へ行くなら、まずここへ向かうべきではないのか? 人が溢れているのは金閣寺や清水寺ばかり。残念な限りだ」と嘆くのも最もです。
本日は、私のような方のために、泉涌寺についてご紹介します
泉涌寺公式サイト→http://www.mitera.org/
Wikipedia泉涌寺→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA
皇室の菩提寺「泉涌寺」を知る
●約1150年前の天長年間に空海(弘法大師)が法輪寺という草庵を営なんだ事に始まる現在の泉涌寺は、貞応3年(1224年)に後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結び付きが強まった。
●南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われた。
●江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られ、泉涌寺の月輪陵に歴代天皇らの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。
●天智天皇とから昭和天皇(南北両朝の天皇も含む)に至る歴代天皇皇后の53の尊牌(位牌)を安置する
●創建以来、幾たびも戦火にあい焼失したがその都度、織田信長、豊臣秀吉、徳川家綱将軍など、時の権勢によって相次いで復興された。
●現在の建物は明治十五年(1882年)の炎上後、宮内省によって明治17年に再建されたものである。このように現日本国憲法制定までは、宮内省がその維持経費に大きく寺の経営に参画してきた
●しかし1950年に新憲法が制定されるや、国家機関としての宮内省が直接神社仏閣に資を供することを禁止されることとなったため、壇信徒を持たない皇室一すじの寺門の維持は極めて困難な事態に追い込まれた。
●そこで寺門運営の基礎を強固にし、永続を図るために1965年に三笠宮崇仁親王を総裁に、三井銀行故佐藤喜一郎氏を会長として広く民間篤志のもの糾合して「御寺泉涌寺を護る会」が結成された。
●現在では秋篠宮文仁親王殿下を総裁に、経団連名誉会長の奥田碩(ひろし)氏を会長に、開創以来750年の伝統と由緒をもつ、格式の高い御寺維持のための努力が今も力強く続けられている
●歴代天皇のご位牌を一般観光客が参拝することは出来ないが、広大な境内には、忠臣蔵でおなじみ大石内蔵助が建てた茶室と「大石の書」があり、誰でも見ることが出来る
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「御寺泉涌寺を護る会」の次期会長には、御手洗キヤノン会長が決定しているようです。
「泉涌寺を護る会」→http://www.mitera.org/mamorukai.php
京都駅(八条口)からタクシーで僅か5分。市バスや京阪電車等々、多様なアクセスが可能な場所の様です
春の旅行シーズン、少し予習をして、学生の皆さんには卒業旅行の行き先候補にしてほしいモノです
(その前に、私自身が一度訪れなければ・・・)