悪ガキ長友佑都を変えた教師

NagatomoSANSPO.jpg久々のサッカー・カテゴリーです。16日付産経スポーツ(sanspo.com)に「長友、出世物語の裏に2人の熱血教師」との記事が掲載されました。
日本代表の「鉄板」左サイドバックとして先のアジア杯でも大活躍し、1月末に世界最高のクラブチームの一つであるインテルに移籍した元FC東京の長友佑都の悪ガキ中学生時代と、そんな彼をゲームセンターからグランドに引き戻した熱血教師のお話です。
落ちこぼれ・悪ガキ時代
●愛媛県の西条中サッカー部の副顧問だった伊藤貴史さん(写真左:38)=現飲食店オーナー=は、入学した長友の初対面の姿を今でも覚えている。担当の社会科の最初の授業。教壇に向かい最前列“左サイド”に陣取った長友は、机に勉強道具を一切出さず、腕と足を組みガムをかみながら挑発的な視線を送っていた。
nagatomo4.jpg●幼少からサッカーがうまく「西条に長友あり」といわれたが、身長140センチほどの細身の体のため愛媛FC下部組織のセレクションに落ち、仕方なく中学の部活を選んだ。だが、当時のサッカー部はヤンキーのたまり場。
●サッカー部顧問は“悪さ”した部員の生活指導のため、練習に顧問も顔を出せないほどで、やっと試合をすれば対戦相手とケンカする始末。長友も先輩に引きずられ、練習をサボるようになった。
熱い指導と変革期
●このサッカー部を変えたのが、その頃赴任した井上博監督(上の写真右41)=現新居浜北中監督=だ。伊藤さんとタッグを組み生徒に体当たりした。「小学生のとき離婚を経験した佑都は、大人の男に不信感を持っていた。でも目は訴えとるんですよ。キッカケが欲しいと。こいつとやりたいと思ったんです」。
nagatomo2.jpg●練習をサボれば家やたまり場に押しかけ“強制連行”。兄貴分の伊藤さんは「お前らヘボいわ」とあえて口にし反骨心をあおった。1年生の冬。ゲーセンでサボっていた長友を見つけた井上監督は思わずほおを張った。「お前がやっとることを母さん見たらどう思う? お前のはいとるスパイクは誰のおかげぞ!」。この日から長友の人生が180度変わった
練習をサボる部員の家を今度は長友が回った。ビデオや本で研究し練習メニューも考えた。「本気でやらんと佑都に殺されそうじゃ」と同級生は部活ノートに書いていたという。
サッカーに打ち込む長友
●中3の7月末。最後の大会となるジュニアユース直前に、副顧問の伊藤さんの母が急死した。女手ひとつで育ててくれた母をなくした辛さをミーティングで話した“兄貴”の姿に、長友は自身の境遇を重ねるように大声を上げ泣いたという。
nagatomo3.jpg●その数日後、長友が午後11時を過ぎて照明も落ちた市民グラウンドで、長友はひとり泣きながら練習していた。「なんでそこまで練習すんの」と聞いた伊藤さんに、長友はすっと夜空を指さした。「あの星はタカフミ先生のお母さんの星や。僕はその星の下で、いい加減に過ごすことなんてできないんよ。タカフミ先生のお母さんにも恥じないようにやるけん
大会でチームは県3位の快進撃。長友はベストイレブンに選ばれ、飛躍の足がかりをつかんだ。長友は今でも帰省すれば黙々とこのグラウンドで汗を流す。
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記事の最後は「男の原点には、青春ドラマもかすむ熱い物語があった。」とスポーツ紙らしく結ばれていますが、まさにその通りの話です。
まんぐーすは、FC東京時代の長友選手にもらったサイン(キャップに書いてもらいました)を後生大事にしております。
FC東京もJ1復活を目指して頑張れ!!!
「駒野を慰めたパラグアイ選手」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-30
「W杯:小野剛さんの分析再び」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-007-05-2
「ショパン国際ピアノコンクール」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-09-18

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