先週の話になりますが、15日は朝鮮戦争における「逆転満塁ホームラン」であった「仁川上陸作戦」の60周年記念日、また18日は米空軍創設63周年でしたのでご紹介します。
仁川上陸作戦60周年
●1950年9月15日、国連軍総司令官であったマッカーサー元帥は、米統合参謀本部や米海軍の大反対を押し切って、大ばくちに挑みました。
しかし彼にとっては必ずしも大ばくちではなかったのかもしれません。太平洋戦争で数多くの着上陸作戦を指揮し成功に導いた同元帥にとって、朝鮮戦争勃発直後に一度だけ目にした仁川周辺の地形は、着上陸の作戦成功を予感させるモノだったかもしれません。
●当時、北朝鮮軍に朝鮮半島南端まで追いつめられ、僅かに釜山しか後がない状況にあった連合軍側は、延びきった延びきった北朝鮮補給ルートを断ち、韓国内の北朝鮮軍を南北から挟み打つもくろみを持ってソウルに近い仁川への上陸を試みました。
●潮の干満の差が世界一大きいとまで言われた同地への困難な上陸作戦は、思わぬ大成功を納め、ほぼ無傷の上陸部隊は9月中にはソウルを奪還、戦況全体を大逆転に持ち込みました。
●同作戦60周年を記念するセレモニーは、16日遊園地となった同地周辺で行われ、米艦艦艇ほか米海兵隊員による上陸作戦の再現ショーで幕を開けました。
そしてハイライトは、海兵隊員扮する「マッカーサー元帥」以下の主要幕僚の行進です(このような遊び心は米軍らしいところです・・)。
●在韓米軍司令官シャープ陸軍大将は式典で「仁川上陸作戦は米軍の歴史上でも、最も大胆な作戦の一つである」と表現し、第7艦隊のバスキルク新司令官(Vice Adm. Scott R. Van Buskirk)は「本作戦は古典的な海軍海兵隊による青緑チームコンセプトの例である。そして今日も重要な着上陸作戦の重要性を裏付けるモノである」と語りました。
●参加した退役将校は「海兵隊にとっては着上陸が一番だ。海兵隊が最終的に着上陸の根っこに戻ることがうれしい」とコメントしています。
海兵隊の存在意義や将来の姿がゲーツ長官から厳しく問われている中、意味深な式典でした。
ちなみにこの60年前の上陸作戦には、豪、加、仏、蘭、英、ニュージーランドも参加していたようです。
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米空軍63周年に送るメッセージ
●マレン統合参謀本部議長
(空軍の父)ミッチェル将軍は言った「エアパワーの発展において、人は将来を見据える必要がある」と。我々は変化に対応していかなければならないことを、63回目の誕生日に改めて肝に銘じよう。
第2次大戦後に生まれ、その期待に応え続けてきた米空軍は、平和と勝利の確保のため、変化し続ける軍のあり方に対応してきた。冷戦期のベルリン空輸からアフガンのバグラム郊外の作戦まで、新技術の利用からCOIN作戦の支援まで、空軍人はその柔軟性を遺憾なく発揮してきた。
そして今後も、そのDNAに刻まれた空軍人の精神により、侵略を抑止し、素早く展開し、援助を運び、戦い、勝利を勝ち取る崇高な任務を、21世紀に渡って提供するであろうことを疑わない。
●空軍長官と空軍参謀総長の連名で・・
63周年にあたり、引き続いて改革と指導力を継続し、空と宇宙とサイバー領域に置いて先人が積み上げてきた決定力を継承していく。
他に比類無き世界全域に渡る監視、到達力とエアパワーを我々は備えている。4万人が現地に展開し、18万人が母基地から支える今現在の戦いにおいて、米空軍は欠くことの出来ない国家機能の一部である。
兵士諸君とその家族の献身に深謝し、我々の伝統を受け継ぐ取り組みに汗し、明るい将来を築くみんなと共に63回目の誕生日を祝いたい。
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ゲーツ長官からのメッセージは見あたりませんでした。
「変化」や「環境への適応」がキーワードのようです。
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