7時57分配信(産経新聞)より・・・
「5人目のキッカー、カルドソが決勝のゴールを決めると、歓喜の輪を抜けだし、1人のパラグアイ選手が駒野友一に駆け寄り、額をすりつけるようにして何かを語りかけた。自身4人目のキッカーとして落ち着いてゴール中央にPKを決めたアエドバルデス選手だった。おそらくスペイン語だったのだろう。駒野は何を言われているのか分からないはずだが、しきりにうなづいていた。気持ちは通じていたのだろう。」
産経さんには悪いですが、アエドバルデス選手じゃなくてEdger Barreto エドガー・バレット選手じゃないかと思います。そして最初のキッカーだったのでは・・・
この話を読んで、「日本サッカーの父」と呼ばれるデッドマール・クラマーさんのことを思い出しました。
クラマーさんは、東京オリンピックを控えた日本サッカー強化のためドイツから派遣してもらった監督です。当時のサッカー協会は貧乏で安い給料しか払えなかったようですが、それを承知で35才で来てくれた人です。
「トルシエの100倍怖い」と川淵三郎さんが表現するクラマー監督の猛練習を経て、日本代表は五輪予選リーグの大一番、対アルゼンチン戦に臨みました。そして・・・
圧倒的不利の下馬評をくつがえし、日本は3-2で優勝候補のアルゼンチンに勝利しました。
大喜びのロッカールームで、クラマー監督は選手に言いました・・・
「今日みんなの所には大勢の人がお祝いに来るだろう。共に大いに喜びなさい。しかし、真に応援してくれる人だけではないことも忘れてはいけない。・・・それから私は今日、アルゼンチンの選手を慰めに行く。彼らには今日それが必要だと思う」
日本代表選手は唖然としました・・・「何言ってるんだ・・このおやじ・・」、川淵三郎氏はそう思ったそうです。
しかし次のガーナ戦で日本が破れ、更に準々決勝で敗れると、アルゼンチン戦での騒ぎが嘘のように人が周りから去っていったそうです。その時初めてアルゼンチン戦後にクラマー監督が口にした言葉の意味が理解でき・・・・。あの悔しさが、メキシコ五輪での銅メダルに繋がったと・・。
メキシコ五輪の際、FIFAの役員だったため本当はいけなかったのでしょうが、クラマーさんは3位決定戦のハーフタイムに日本のロッカーを訪れ、「もう一点とれ」と檄を飛ばしたそうです・・・。
クラマーさんはその時のことを・・・・・
「3位決定戦の後、宿舎に帰った選手は全員が倒れ込むほど疲れ、みそ汁をすするのがやっとだった。あそこまで自分を追い込んで戦えるのが日本の強さの源だった」、と日本サッカー協会の殿堂入りの際に語ったようです。
「16強を川淵三郎が語る」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-07-14-2
南アでの日本代表の選手・監督・コーチ・スタッフ・・・、お疲れさま。
(追伸)
本田圭佑の大叔父:本田大三郎さん(75:元カヌー東京五輪選手)の言葉
「私の母は『人間は一生過ごして身の自慢』と教えてくれた。人生の一時の華やかさで一喜一憂してはいけないということ。・・・・・
圭佑は好むと好まざるとにかかわらず、このW杯で世間の注目を集める立場になった。サッカーをやめても、努力を怠ることのできない運命を背負った。」
(7月1日7時55分配信 産経新聞より)
「長友が本田を語る」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-07-02-1
(関連記事)
「デンマーク戦FIFAの公式評価」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-25-1
「ベンゲル君、コメント待ってるよ」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-15
「だから日本代表を応援する」→http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-08-1
「「51歳の左遷」から全ては始まった 川淵三郎物語」
→ http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-09-22
「これで日本サッカーを強くする。犬飼サッカー協会会長の本」
→ http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2009-06-06
(400記事記念の特別保存版記事)
「ゲーツ改革のまとめと整理」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-17
「400記事記念 反響大の記事特集」http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2010-06-18
コメント