18日及び19日、ゲーツ国防長官はクリスマス休暇前の休日を、大学の卒業式にゲストスピーカーとして相次いで登場し、ゲーツ節のジョークを交えながらも、今こそ人のため社会のため国のための仕事を目指してほしいと訴えました。18日はジョージア大学、19日は自信の母校でもあるインディアナ大学の卒業式に登場しています。両方のスピーチからピックアップします。人柄が良く出ているとおもいます。
冒頭のジョーク
●私がテキサスA&M大学の学長の時もゲストスピーカーの選定は難題だった。ある先輩がアドバイスしてくれた、「有名な人がいい。パリス・ヒルトンのような有名でなく、重要な何かを成し遂げた人がいい」。・・なるほど、でも「重要」の定義がそもそも問題です。
●ご列席のご父兄の皆様、おめでとうございます。さぞやお喜びのことと思います。中には、もう子供のために小切手を切る必要がないと空想し、再びこの手に戻ってくるお金のことを考えておられる方もいらっしゃるでしょう。でも・・忘れた方がいいですよ。私の経験からすると「パパ・ママ銀行」はその後も営業を続けることになりますから。
●インディアナは、私が冷戦とソ連について研究したなつかしい場所です。そして当時修士課程にいた妻ベッキィーと出会った場所でもあります。でも妻はロマンティックな思い出を語ることはほとんどなく、私が「Nicks」でほとんど毎日夜食を食べ、彼女の記憶で1年間に約10kg太ったことばかりを人に話します。
追加のパンチ
●どのようにしたら成功できるか教えてあげましょう。ある大金持ちは「早起きし、夜遅くまで働けば、油田に当たる」といいました。アルフレッド・ヒッチコックは「実際に勝ち取るものなど何もない。あなたが、鋭い目と機転の効く心を持ち、そして何も良心に悔いることがないことで達成されるのだ」と語っています。
本 論
●今日はわたしが以前から考えていることをお話ししましょう。それは我が国の国民であることと公共のために尽くすことです。我々は自らの権利についてはよく話を聞きますが、政治家、評論家や論説家が余り口にしないのが「市民としての責務」です。
●民間部門で成功した人にとっては、公務に就く負担は極めて煩わしく、その生活は極めて見にくく危険に満ち欲求不満のたまるものに見えます。私も43年前に公務について以来、その全てを経験しました。しかし多くの人の見方に反し、私は依然として、公務が重要でかつ名誉ある仕事であり、人を育て満足させる仕事だと信じて疑いません。
●1952年卒業のベックウィズ大佐は、NFLグリーンベイパッカーズの指名を断り陸軍に入隊、ベトナム戦争で活躍。その後特殊部隊デルタ・フォースを創設して自ら育て、今日のテロとの戦いを支えています。大恐慌の最中、ブルックス教授(D.W. Brooks:写真)は大学を辞め、直接現場で貧しい農民に農業技術を教えたいと農地に向いました。そして貧しい南部の農民の生活を改善し、更に7人もの大統領のアドバイザーを努めました。公務の8割はワシントンDC以外にあり、4万以上のポストが海外にあります。多様な選択肢が待っています。
●トーマス・アダムズが息子に贈った言葉を紹介しましょう。「息子よ、公務というものは、常に誰かがやらねばならないものだ。・・・もし賢明な者が断れば、ほかの者はやらない。もし正直な者が拒めば、他の者はやらない」。卒業生の皆さん、そこで私からお願いだ。あなた方の中で賢明で正直な者はアメリカ国民のために働いてみませんか。
エピソード
●23歳の空軍少尉のころ、下品にパイプを吹かした空軍の将軍にミサイル基地でブリーフィングさせられたいやな思い出があります。サッチャー元英国首相から40代の頃、当時の国務副長官と「瓜二つ」といわれていました。また、何とか生き残りましたが、ソ連の指導者と米国務長官から同時にクビを斬られそうになったこともあります。
●インディアナ大学でCIAの職員からリクルートされた時は「ワシントンDC見物がただで出来るかも・・」との気持ちで付いていきました。そんな軽い気持ちが、私の学問分野での興味ともっと巨大なもの、つまり国家の仕事を結びつけたのです。(以上スピーチ)
最後の写真は、卒業式後、少尉として米軍に入隊した若者を激励するゲーツ長官です。公務員をいじめるばかりじゃいけません。良い人のリクルートに正々堂々と取り組まねば・・。
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